僕はこんなにも生きたかった

20代でうつ病と多発血管炎性肉芽腫症を発症し、30代で転職して父親になった、元公務員の記録

難病になるまで ー多発血管炎性肉芽腫症ー

多発血管炎性肉芽腫症(当時はまだウェゲナー肉芽腫症と呼ばれていました)と診断されたのは、うつ病の発症から2年後のことでした。

 

僕はその頃、うつとの付き合いも長くなってきて、2度目の復職をしていたときです。

年明け早々、僕は熱をだしてしまいました。

なんだか首のあたりが腫れてきていて、「まさかおたふく風邪?」と、慌てて病院に行きました。

すると、どうやらおたふくではなさそうですが、感染症で首のリンパが腫れてる、とのことでした。

抗生物質や解熱剤をいただき、家で静養していたのですが、全く良くなる様子はありませんでした。40℃近い熱になってしまい、とても静養していられなくなってしまいました。

改めて病院に行くと、少し大きな病院を紹介され、そちらで検査をすると、顎下腺炎とのことでした。さらに運の悪いことに、たまたま処方されていた解熱剤のアレルギー反応も出てしまっていたようで、結局そのまま入院となったのです。

1週間後、なんとか熱も下がって退院したのですが、2~3日後に再び異変がはじまります。

熱は下がったままなのですが、今度は身体中の関節に激しい痛みが走るようになりました。始めは慣れない入院生活で身体が鈍っていたのかと思っていたのですが、だんだんと手を握るのも辛いほどの痛みになってしまい、日常生活の全ての動作が苦痛になりました。

整形外科にも行ってみたのですが、どちらかというとリウマチなどの内科的な疾患だろうとのことでした。

そのため退院から約1ヶ月後、うつ病でも通院している総合病院に検査に行くことになりました。

診察が始まると、すぐに医師から「今日は検査入院しましょう」との提案がありました。

僕は入院になるとは思ってもみなかったのですが、「入院にすればより詳しく検査できますから」とのことだったので、午前中に入院の準備をして、午後改めて検査に臨みました。

先生もリウマチなどを疑っていたようで、始めに胸部のレントゲンを撮り、それから手のエコー検査をする予定でした。

レントゲンを撮り終え、エコー検査のための同意書などの手続きを始めた頃、だんだんと呼吸が苦しくなってきました。

呼吸をしても酸素が行き渡らないような感覚というのでしょうか。

胸のあたりがガサガサと、まるで紙風船のような音が身体を伝わって聞こえてきて、つい先刻までと明らかに身体の様子が変わってきました。

ちょうど胸部のレントゲン写真も出来上がったようで、先生と一緒に確認すると、そこにはとても正常な肺とは思えないものが写っていました。

まるでプラネタリウムのように、無数の白い影がびっしりと肺に広がっていたのです。

それをみた先生は、直ぐに検査の予定を全て変更しました。

手のエコーの予定は全身のCTに切り替えられ、僕は酸素マスクに車椅子でその後の検査をまわることになりました。

身体中の激痛に加えて血中酸素濃度は80%代まで落ち込む呼吸困難で、とても歩いて検査をまわれる状態ではなくなっていました。

なんとか一通り検査を終えると、すぐに治療を開始するため、母と、婚約していた彼女が呼ばれていました。

 

「ウェゲナー肉芽腫症」

 

僕がかかっている病気だと先生に言われたのは、生まれて初めて聞く病気でした。

呼吸器科から精神科へ

その日は午前中から呼吸器科の診察を受けていたのですが、検査もあったため、もうお昼近い時間になっていました。

ですが精神科を紹介していただいたら、すぐ来てもらって大丈夫ということで、その日のうちに精神科を受診できることになりました。

 

ただ僕は当時は前向きなのが取り柄と自覚していましたので、いわゆるうつ病などとは縁遠い人間だと思っていました。なので精神科と聞いてもあまりピンとこず、どこか他人事のような感覚がしたのを覚えています。

 

そこでは二人の医師から別々に、合わせて約1時間程の問診がありました。仕事のことや私生活のこと、家族のことなどを聞かれるままに答えました。

 

おそらくその結果の擦り合わせのようなことをしていたのでしょうが、その後少し待たされました。

自分は何か得体の知れない病気になってしまったのだろうか、というような不安のため、落ち着かない気持ちで待っていました。

 

改めて診察室に呼ばれると、そこで先生から「うつ病です」と伝えられました。

もちろん僕に自覚はなかったのですが、自傷行為等が無いだけで、病気の程度としては決して軽くはない、と。

また、仕事も出来る限り早く休むようにと付け加えられました。

 

診察が終わり、診断書と薬を受け取ると、まず母親に、そして次は職場の上司に連絡をしました。皆驚いていましたが、僕が驚いたのは、母親は「そう言われれば思い当たるこおがある」と話していたことです。母親とは時に本人以上に子どものことを理解しているのですね。

 

公務員という仕事柄、休職の手続きは驚くほど簡単に進みました。

こうして僕の長い長い闘病は始まりました。

 

事の始まり-うつ病と診断されるまで-

僕が自分の身体に異変を感じ始めたのは2009年の夏ごろからでした。

異変といっても、風邪の初期症状のようなちょっとした違和感で、37℃程度の微熱と咳くらい。

仕事を休む程のこともなく、「少し早めに寝ようか」くらいの気持ちでしたが、それがなかなかおさまりませんでした。

 

秋頃になり、さすがに近所の内科に行ってみたのですが、薬をもらって飲んでいても改善せず、血液検査をしても、肺などのレントゲンを撮っても特別悪いところはみつかりません。はっきりしないまま、2010年を迎えました。

 

年が明けて、総合病院を紹介していただき、そこでも様々検査をしましたが、相変わらず原因ははっきりしませんでした。

 

ただ、僕自身には更に変化がおきていました。

この頃から段々と夜眠れなくなってきていたのです。

 

総合病院での何度目かの診察の際に、「どんなことでも些細なことでもいいので、気になることを教えてください」と先生に言われ、寝つきが悪いことを話しました。ちなみにこのときは呼吸器科を受診していました。

 

先生は「精神的なことが原因で、熱や咳が続くこともあります」と言って、僕に同じ総合病院内にある、精神科の受診を勧めました。

 

こうして精神科を受診することになったのです。

 

うつ病と多発血管炎性肉芽腫症の闘病記

こんにちは、都内在住のこういちといいます。


大学を卒業し、地方公務員となって、比較的順風満帆な人生を歩んでいた僕ですが、うつ病と難病によって大幅な進路変更をしてきました。

かれこれ8年ほどの闘病生活。
僕の8年が、少しでも読んでくださった皆様のお役に立てばと思い、ブログにしてみることにしました。

不慣れなため、お目汚しも多々あるかと思いますが、しばしお付き合いいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします!